roseに口づけを

愛島セシルに愛を捧ぐウェブログ

執着心をなくしつつある?

8月に読んだ漫画にこういう場面がありました。
主人公が道端にいた鳥を見て「かわいい」と言う場面。
その場にいる女性キャラクターに「鳥すきなの?」って聞かれるんですけど、
主人公は「あんまり詳しくないから」という理由で、堂々と好きということに遠慮しています。

そんな主人公に対する女性の台詞が、めっちゃ優しかったんです。

詳しくなくったって
好きって気持ちがあれば
好きでいいんだよ

好きは誰かと競うものじゃないよ


引用元:shonenjumpplus.com
この話が収録されている巻:

それを読んで私はなんか感動したんだけど、
この主人公みたいに素直に「そうだね」「私 鳥すき」とは言えないだろうなと思いました。
面倒くさいオタク気質を拗らせてしまっている気がします……。


でも、もっと楽に考えて悩まないようにして、ただ「好き!」って言えた方が楽だし楽しいだろうなと思いました。
他の人のこととか誰かより詳しいとかは置いといて、私これ好きなんだよ〜。
って言えたらいいのに!


以下にオタク趣味に纏わるどうでもいい悩み事を書いています。
でもうた☆プリ熱が冷めたという話ではないです。
だって、今月末のシャニライでのバースデーブロマイドめちゃ楽しみにしてるし、
バースデー記念グッズが届くのもめちゃ楽しみだからです。
相変わらず好きです。


シャニライ4周年ブロマイドのサイドストーリーで、セシルさんが「アグナパレスでは7つの音が虹になって音楽の神に届くと言われている」という話をしていました。
へぇーって思って楽しかったんですけど、知らなかったーって思ってしまいました。
でも前からある設定なんだろうなと思います。
なので、こうしてシャニライで教えてくれるのを聞くと勉強になります。
とても助かっています。


私はうた☆プリの様々な設定を覚えていないし、忘れたり知らなかったりするし、好きな設定が今も生きてるか分からなくなっています。
うた☆プリについて知らないことが多いです。

ストーリーや設定を覚えていられない・知らないことには凹みますが、前みたいに激しい嫉妬や後悔に苦しむようなことが無くなってきたと思います。
新鮮な気持ちで聞けて楽しいのは知らない人の特権だと思って、開き直り始めてもいます。
これを自分では、執着心がなくなってきたと思っています。

同じ趣味の友達と喋らないなら要らない知識だし、使わない知識だから覚えられないんだろうな。


最近は自分の頭が悪いことを自覚してるので、なんかもうね、オタクらしくなくてもしょうがないかなって思って。
そうやって開き直ることにしようかと思っています。
諦めからの自己肯定?

だってもう全然わかんないんだもん。
アグナパレス語だって全然頭に入ってこないもん。

キャラクターのこと全部知りたくなったら、
「グッズやゲームの特典に新情報があるかもしれないから絶対買わなきゃいけない!」って思って、
知ることに義務感を持ってしまっていたのですが、
実際はそんなにお金余ってないからと言って、買うのを諦めることもありました。

つまり金銭的に余裕がないから買えてないのですが、
義務感のある自分とお金がない自分の両方があるので、悩んで苦しんでいました。
どっちも同じくらい強い気持ちだと、悩むのに疲れます。


オタクの知識がないせいで、人と比べて知らなくて凹むんですけど、
知識をつけたら今度は自分より詳しくない人にマウント取りたくなりそうな気もしています。
なんかもうやだ。
好きなのに知らないの嫌だったし覚えられなくて嫌だったけど、知ってて嫌な奴になるのもやだ。
どうやっても人と比べちゃう自分がやだ。

こんなことで悩んでる自分のことを気持ち悪いと思っているし、悩み事の内容がくだらないと思うから、ほんとはこんなことで悩みたくないです。

「好きなものに関して知らないことがあるのはオタクとして失格」みたいな、
「オタクは好きなものへの執着心が強くなければならない」イメージが私の中にあるんですけど、
例えその観念が正しいとしても、
オタクらしいオタクになる努力をするのが面倒くさくなってきています。
オタクらしさを目指した結果、病的に熱狂したり気持ち悪いオタクになったりしてしまいそうです。
気持ち悪くなるのはなんか嫌です。

あと近頃は「二次元キャラクター好きのオタクが気持ち悪いって言われるのもしょうがないな」って思うような、
他の二次元オタクを見て引くような出来事がいくつかありました。
(インターネットしてると苦手なタイプのオタクめっちゃ見る)

オタクであることを誇らしげにしながらオタクじゃない人を馬鹿にしてるオタク達とは、同じになりたくないと思ってしまいました。
私はキモいオタクになりたくない!という気持ちが、以前より強くなりました。

このブログに書いた日記の中で、
乙女ゲームも少女漫画みたいな普通の趣味と思いたいって書いたことがあったけど、
やっぱり少し違うものだなと考え直しました。
私のように二次元のイラストに心ときめくのは普通の感性ではないだろうと思うので、少し違うと感じています。

二次元キャラクターのイラストが好き!かっこいい!と思う感性は普通ではない自覚があるのですが、それを好きでいること自体はいいと思っています。
だから私は二次元キャラクターの顔が好きだし、これからもグッズを買うでしょう。
ただ、かわいい動物キャラクターのTシャツを着るのと、二次元キャラクターのTシャツを着るのは同じじゃないと思っているし、
少女漫画の恋愛模様にときめいて相手役の男キャラかっこいいって思うのと、
乙女ゲーム遊んで攻略対象キャラにときめくのは違うよなぁと思いました。


それから、今日の日記では執着心がなくなってきたと書いたけど、
このイラストのグッズ買う!っていうこだわりとか、グッズコレクターの気質は健在です。
これからもオタク気質ではあるだろうなと思います。

なので、二次元好きなオタクが言う「オタクらしいオタク」っぽくはないけど、感覚が普通でもないっていう、
どっちとも分かり合えない立ち位置に来てしまったような気がします。


私は執着心は良くないことだと思って無くなればいいと思っていたけれど、
今は、執着心がなくなればうた☆プリのこと好きじゃないことになっちゃわないかな?って怖くなってきています。
執着心と好きは違うものだから大丈夫だよー。
って思いたい。
自分にそう言ってあげよう。

オタク世界でいう常識や価値観や考え方を気にしないようにして、
自分の感覚を信じるようにしようと決めたのに、
なかなか思う通りにいきません。


おわり