roseに口づけを

愛島セシルに愛を捧ぐウェブログ

「Crown of Agna」について考え直しました

「Crown of Agna」について、だいぶ自分を納得させられたので日記を書きました。
あれから曲は聴けるようにはなったんですけど、以前の日記は愚痴で終わっていたので続きを書きました。

自分の書いた愚痴を読み返しながら書いてみましたが、問題の根本が頭おかしいので、頭がおかしいまま終わる日記でしかありません。
でも常日頃から頭おかしいこと喋るより日記に書いて発散した方が良いよね、と思うことにします。

どうでもいいけど、今回初めて目次を作ってみました。
目次があると有益な情報を配信するブログみたいでかっこいいですね。

以下、めちゃくちゃ長くて無益な日記

⒈ セシルについて全然知らなくて悔しい話

⑴ 愚痴の詳細

ソロベストアルバムのブックレットで、セシルという名前がアグナパレス語で「唄声」という意味であることを初めて知りました。
私はその情報を今まで知らなかったことが悔しくて、ショックを受けました。
セシルさんについて知らないことがたくさんありすぎて悔しいし悲しいです。

⑵ 解決のための考え方

① 知らなかったことはしょうがない

知らなかった過去はどうしようもないので、今まで知らなかった自分を受け入れます。
考えてみると「うたの☆プリンスさまっ♪ Amazing Aria」のセシルルートのストーリーで、セシルさんが私と似たような悩みを持っていたことを思い出しました。
ゲームでは「愛は時間と共に育まれるものだから、未来に向けて愛を深めていけば良い」と考えて、現状を受け入れていた記憶があります。
ちょっとうろ覚えなので出典として正しいか確証が持てないです。
ゲームになかったとしたら私の妄想ということになります。
でもどっちにしろ納得のいく考え方なので、このように考えることにします。

それにセシルさんは「永久に変わらぬ愛を誓う」っていう台詞を言いますね。
考え方の方向性がセシルっぽいと思えば楽しいからそれでいいよね。

② 何事も全てを知ることは不可能

何かを知る行為に終わりはない、という話を聞いたことがあります。
知れば知るほど知らないことが出てくるので、自分が何も知らないということを知った時に漸くスタート地点に立てるそうです。
考えてみると、世界中の研究者は長い間ずっと研究し続けています。
研究するうち知らないことが増えていくのに続けられるのは、知る行為を楽しんでいるからなのでしょうか。
この世の何もかもを知っているのは全知全能の神様しかいないだろうと考えたことがありますが、全知全能って人間にとっては退屈そうに思えます。
それも神が神たる所以でしょうね。

何の話してたか忘れそうになりましたが、セシルの話に戻ります。
私がセシルさんについて知らないことが多いということは、言い換えると、これから知る楽しみがたくさん残っているということになります。

この考え方は私の好きなアイドルソングを参考にしました。
真野恵里菜さんの「21世紀的恋愛事情」という楽曲です。

21世紀的恋愛事情

21世紀的恋愛事情

歌詞を見た感じでは、会ったこともない知らない人への片思いを歌うラブソングです。
アイドルを応援しているファンの心境に近いものがあることと、それをアイドル自身が歌っていることが面白い楽曲です。

今回注目したい歌詞はここです。

インタビュー、You-Tube、検索エンジン
全部 知りたいなんて ほ・ん・とに easy!
知らないことあれば どきどきしちゃうよ
片思いですからね I wanna hold you!
『 なんて ファンタジイ ! 』

相手のことをほぼ知らないのにめちゃくちゃ楽しそうです。
この歌詞の主人公は「知らないことがたくさんあってワクワクする」という考え方をしているんだと思いました。
その方が人生楽しそうだなと思ったので、真似しようと思います。

他には、「一つの秘密も持たない人間は信用ならない」という話を聞いたことがあります。
この言葉の発言者の意図と意味合いは違ってしまうけど、秘密がある人の方が魅力的だとかもよく言いますね。
そういえば、愛島セシルは元々ミステリアスなところが魅力のキャラクターでした。
だとすると、謎が残っていた方がセシルさんらしいとも言える?

③ そもそもうたプリの設定はいいかげん?

二次元キャラクターの設定ってぼんやりしています。
その中でもうたプリの設定は、いいかげんというかあやふやな感じの物が多いです。
知らぬ間に消滅しているっぽい設定や、後付けで矛盾が起きたり辻褄が合わなくなったりしている設定、明確に決まっていなさそうなボヤッとした設定などがあります。

例えば、愛島セシルの好物について。
現在のセシルの好物はおにぎりですが、「うたの☆プリンスさまっ♪」と「うたの☆プリンスさまっ♪Amazing Aria」では牛乳と菓子パンが好きでした。
特に菓子パンはお気に入りで、母親に贈るプレゼントには自分の一番好きなものをあげたいとメロンパンを選んだほどでした。
しかし、メロンパンが好きな真斗と設定が被るからなのか、現在この設定は殆どなかったことになっている状態だと思います。
また、牛乳の方は乳製品を好む翔と被る部分があります。
こちらの方はホットミルクに言い換えることで、設定丸被りを回避している状態だと思います。

つまり他の人との被りを避けた結果、現在の「おにぎり激単推し」状態になったと推測できます。
理由を考えると仕方がないのかもしれませんが、おにぎりキャラに納得できるかどうかはまた別の話です……。

もう一つ変だと思った設定は、熱い食べ物が苦手という設定です。
アグナパレスには熱い食べ物があまりないという理由で苦手なのだと言っていました。
しかし、セシルさんが紹介するアグナパレス料理は、緑の野菜のポタージュスープやら、串焼き肉のクレープ包みやら、謎の野菜をチーズ入りの衣で包んで焼いた料理やら……。
出来立てアツアツの方が美味しいでしょ!って思う食べ物ばかりです。
熱々で食べたがるのって日本の食文化なのかも知れませんが、私は日本でしか暮らしたことがないのでよく分かりませんでした。
アグナパレスではどの料理も冷ましてから食べるのがスタンダードなのかな。

馬鹿を承知で書きますが、すごく暑い国って食べ物の温度が冷めるまで時間かからないのか疑問に思いました。
日本でアイスクリームを食べる時に冬よりも夏の方が早く溶けるから、逆はあるのかが気になります。
どうでもいい話ですね……。

話を戻します。
このように、二つ例を挙げただけでもセシルの設定にはよく分からないところが多いです。
分からないことをいちいち真に受けて悩むのは全くもってアホらしい気がします。
そもそも作り物の設定だということを忘れそうになっていました。
あまり重く受け止めないようにしたいです。
でも深読みして妄想するのは好きなので、あれこれ考える遊びとして楽しむよう心構えを改めたいです。

⑶ 結論

  • 過去は取り戻せないから今覚えて忘れないようにすればいい。
  • 知らないことがあってもなくてもセシルについて考えるのは楽しい。
  • 知らないことが残っていた方が楽しい場合もある。
  • あやふやな設定はテキトーに楽しもう。

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⒉ ゲームとアニメのセシルが割り切れない話

⑴ 愚痴の詳細

「Crown of Agna」はゲーム版セシルを想定した歌詞だと思いたいのに、この歌を聴いてアニメ版セシルを思い描く人の方が多いかもしれないと思うと悲しくなりました。
ゲームとアニメの2つを切り離して考えようとしていたけど、全然できていませんでした。

⑵ 解決のための考え方

① キャラクターは二つに切り離せない

どうあがいてもゲーム版とアニメ版のセシルは切り離せないものだと思い知りました。
うたプリはゲームから始まったけど、愛島セシルのキャラクターイメージが豊かになった(成長した)のはアニメの恩恵です。
つまりアニメが無かったら今のうたプリも、愛島セシルも、このソロベストアルバムも無かったということです。
キャラクターイメージを切り離して考えることは不可能だと思って諦めます。

② 自分の考え方は切り離せる

しかし、キャラクターイメージは切り離せなくても、アニメとゲームに対する私の考え方を二つに分けることはできます。
おそらくこれが「切り離して考える」という考え方の本来の意味合いでしょう。
私は言葉の意味を正しく理解できていなかったため失敗したようです。

それに、私は愛島セシルが好きですが、一番好きなのは彼の歌だということを思い出しました。
キャラクターを好きな理由なんていうのは、設定やストーリーを見返して後から考える度にいくらでも増えていくものです。
悪い言い方をすれば、後から付け足せるものでもあります。
そう考えると、一番好きなところが一番重要で他はどうとでもなるように思えてきました。

ゲームとアニメでキャラが違って気に入らないこともあるけれど、セシルさんの歌はいつだって素敵です。
その証拠に、ソロベストアルバムに収録されている歌は素敵な歌しかありません。
片方を嫌ってキャラを別々に考えるんじゃなくて、両方とも大事に思えれば良かったんだなあ。

ここからちょっとだけ頭おかしい話をします……。
分けて考えると言っても、アニメ版セシルにゲーム版セシルさんへの愛を半分分けるようなことをするのは嫌だなと思ってしまいました。
なので、好きなキャラクターが増えたということにして、片方への気持ちが減らないようにしようと思います。
紙に書いて考えると、好きなものの数だけ丸を書けるという場合、セシルはどちらも違う存在なので丸が二つ書ける状態です。
しかしどちらも同じセシルでもあるため、二つをまとめて大きな丸で囲うこともできるというイメージです。
そうすればセシルというキャラクター概念への愛は二倍に増えたことになります。
数が増えた上に最初よりも大きくなりました。
結果的に、前よりもっと好きになってしまいましたね!

③ 他人の考え方は気にしても仕方がない

私は「Crown of Agna」を聴くであろう、顔も知らない誰かの考えることを想像して気にしていました。
誰かの意見を見てショックを受けたわけではなく、勝手に想像していただけです。
なので、実際に他人の考えていることは分かっていません。分からないことを気にしていたのは馬鹿ですね。
要らぬ心配をして、自分の頭の中で考えたことを信じられなくなっていました。

頭の中には自分の世界があるとイメージしているのですが、その世界は自分の思想や意見などの自分の頭で考えたことで形作られているとします。
自分の考えることを否定することは、世界を壊してしまうことに繋がると思います。
キャラクターとしての愛島セシルもおそらく私の頭の中にいますが、自分の考え方を捻じ曲げてしまったらその愛島セシルのことも守れません。
考えてみれば、私にとって望まない影響を与えてくる人達は想像の余地があってもなくても好き勝手に妄想します。
そしてその妄想を自信を持って吹聴しています。
例えそれが根拠のない嘘や間違いであっても決して譲りません。

相手が断固として譲らない時、私は自分が間違っている気がして落ち込んでいました。
どうやらその自信を真似るのが正解だったようです。
私も自分の感じたことや考えたことを信じられるようにしたいです。
そうすれば頭の中の愛島セシルや自分の考えも、自分で守れるようになるはずです。

⑶ 結論

  • 媒体によってキャラが違って迷った時は、変わっていない部分を考えてみる。
  • キャラが違っても好きになれそうだったら、好きな一面が増えたと考える。
  • 自分の世界に他人は関係ないし、他人の考えることは分からない。

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⒊ 歌詞に難癖をつけてしまった話

⑴ 愚痴の詳細

「Crown of Agna」の2番以降の歌詞に気に入らないところが多すぎて、楽曲が嫌いになりそうでした。

⑵ どうして気に入らないのか考え直した

① こっちを見て歌ってないように思える

私は「Crown of Agna」の2番以降の歌詞で、仲間の話が出くるところが不満でした。
もっと具体的に言うと、他のメンバーの新曲は彼女への愛を伝えるラブソングだったのに、セシルさんだけ仲間に感謝する部分にウェイトを置き過ぎなところが不満です。

私はST☆RISHありきでセシルのことを語る人のことが好きではありません。
だから、ソロ10曲のうち2曲が仲間への感謝を歌った歌だと捉えられることが嫌なのだと気がつきました。
セシルのソロ曲がグループありきでセシルを見ている人を喜ばせる物みたいに思えたから嫌だったんです。
だから、上松さんはST☆RISHありきのセシルしか描写してくれないんだなと思ってガッカリしていました。

うたプリのファンの人がうたプリを褒める時に、「うたプリの曲はただのキャラソンではない」と言い、他とは違って優れていると主張するのを見たことがあります。
しかし、「Crown of Agna」はST☆RISHの愛島セシルが過去を振り返るだけのキャラソンじゃないのか、と思ってしまいました。
というかゲーム版の時からぶっちゃけキャラソンではあったけど、歌の完成を目指すストーリーのゲームであることと、クリア後のエンディングでその歌が流れる演出があるおかげで、歌詞とキャラクターとゲームシナリオの三つがリンクしている印象を受けました。

でも今回の歌はストーリーが聞き手に依存することになるので、曖昧な歌になっていると感じました。
具体的にいうと、設定がゲーム版っぽいのに、アニメ版しか知らない人が聞いてもどうとでも取れる余地があるように感じ、曖昧な印象を受けました。
これが乙女ゲーム版の時と同じセシルさんの歌なのか確証が持てなかったです。
だからなのか、セシルさんは曲を聴いている私のことをもう見てくれない気がしてしまい、私は悲しくなったのだと思います。

それに、もしもこれがキャラソンじゃないのなら、なんでセシルさんだけグループの仲間に感謝しなきゃいけないのかなって思うし、いつまでグループの仲間に感謝し続けなくちゃいけないのかなって思います。
ST☆RISHのメンバーはみんなお互いにST☆RISHのこと大切に思って仲間に感謝しているけど、歌詞には書かないじゃないですか。
セシルさんだけはST☆RISHや事務所の仲間に感謝しないとアイドルでいられないってことですか?
そんなのおかしいです。

セシルさんがST☆RISHの仲間達のこと大事に思っているのは分かっているのに、私もそう思いたいのに、全然上手くいきません。
ST☆RISHの愛島セシルが仲間にお礼を歌う曲よりも、ゲーム版から続く1人のキャラクターとしての愛島セシルが歌うラブソングが聴きたかったです。

②アイドルのセシルはあまり好きじゃない

ブックレットを読んでいて、セシルさんはもうアイドルでしかないんだなと思って寂しくなりました。
ゲーム版はリメイクと移植ばかりで新しいものが出ないし、新規に収録されるドラマCDには乙女要素は皆無です。
私が好きになったセシルさんは乙女ゲームの攻略対象だったのに、今やすっかりアイドルの愛島セシルです。
遠くに行ってしまったことがとても悲しいです。

リアルイベントは東京でしかやらないし、ファンの皆がキャラクターに会えて喜んでいるらしいVRライブだってチケットがなければ会えないし、そもそも私は行けないし、私はアイドルのセシルさんにすら会えないのかと思うと悲しくなります。

今遊べる最新のゲームといえばシャニライですが、シャニライでのキャラクター達は乙女ゲームのように振舞ったり、こっちを見ていたりはするものの、ゲーム設定上はアイドルとファンの関係でしかない気がします。
一ノ瀬トキヤくんはガールフレンドのことは君って呼んでいたのに、シャニライのプレイヤーのことはあなたと呼ぶのでそう思いました。

乙女ゲームうたプリはもう終わってしまったのかな。
私に向かって話してくれるセシルさんはもうどこにもいないのかな。
すごく悲しいです。

⑶ 解決のための考え方

①正直なところまだ納得できていない

私はソロベストアルバムに収録された全曲の感想を書くつもりでいたのですが、日記の下書きが途中で終わっています。
「Crown of Agna」に関する不満が思い浮かんでしまって上手く書けなかったからです。
曲調と歌声は素敵なのに、2番の歌詞にどうしても納得いかないので良い感想を書ける自信がないです。
これは⒉ ゲームとアニメのセシルが割り切れない話で考えたことを、上手く実行できていないせいだと思います。
キャラクターが違うセシルはどっちも同じセシルだって頭で分かっているつもりだけど、処理できていないみたいです。
それに⒉ではゲームとアニメの愛島セシルについての話だけでしたが、更にアイドルの愛島セシルについても考えることになるので、混乱してしまいます。
完璧に解決するにはもう少し時間がかかりそうです。

②感謝できるのはセシルの良いところ

セシルさんは「みんなで」という言葉を好んで使うイメージがあります。あとは「一緒に」もよく言いますね。
寂しがり屋だからかなとも思ったけど、仲間意識が強いとも考えられると思います。
それに、いろんな物に対して感謝の言葉もよく言います。
これは宗教観もあるかもしれません。
それでも、きちんとお礼を言える人は素敵です。
人に感謝することは当たり前のことのようで、誰もが上手くできるとは限らないことです。
だからこれはセシルさんの美点だと思います。

仲間を大切にして感謝できるセシルさんは、きっと国民にも感謝する王様になると思います。
そんなセシルさんの歌だと思えば、素敵だなと思えるかもしれないと思いました。
でもまだちょっと納得しきれていません。難しいです。

⑶ 結論

曲と歌は好きなので、歌詞についても前向きに考えられるよう努力する。

⒋ 総括

「Crown of Agna」の不満をたくさん日記に書いてから、日を改めて考え直してみたことを書きました。

先日書いた日記を読み返して思ったことは、
たかがキャラクターについて悩みのたうち回ってる様は自分の日記として読むと恥ずかしいですが、他人事として見ると滑稽だということです。
ウケる。
読み返すのは恥ずかしくて嫌でしたが、そのおかげで自分の本当の気持ちが分かった気がするので良かったと思います。
私はセシルさんがどこを見て誰に向かって歌っているのか分からなくて不満だったみたいです。
アイドルとしてじゃなくて、乙女ゲームのセシルさんが私は一番好きだから、仲間やみんなじゃなくて私の方を見て歌ってほしかったみたいです。
セシルさんが歌うアナタは私のことじゃないって分かってるけど、私宛だと思いたかったんです。
だから「ST☆RISHの愛島セシルの半生を描くキャラクターソング」よりも「個人的な愛を歌うラブソング」を歌っていてほしかったし、セシルさんにはそういうキャラクターでいてほしかった。
これが一番素直な感想だと思います。

結局また嫉妬してただけだった〜〜。
最初からこうやって素直に書けたらよかったのに、なんで気が付かなかったんだ〜。
私はオタクを辞めたつもりだけど、わがままで気持ち悪いところはそのまま変わってないみたいです……。


「Crown of Agna」は今もまだ大好きな曲とは呼べないけれど、曲の感じ方はその時々で違ってはいるからなんとかなる気がしています。
愚痴しか書けなかった日記では、「楽しむ気持ちと不満に思う気持ちで感情が二分割している」と自分で書いていました。
そのまま分割していて良いような気がします。
その方が曲の印象も考え方もたくさん思いつくし、案が多いほどこれからどうとでも変えられると思います。

楽しむところは楽しんで、気に入らない時は一旦置いておいてから楽しみ方を探すっていう感じにしたい。
いつもくだらないことで悩んでるので、もっと気にしないようになりたいな。
もっと気楽に楽しみたいです。