roseに口づけを

愛島セシルに愛を捧ぐウェブログ

私の中の愛島セシルが消えそう

「Crown of Agna」について気になったところを愚痴ってるだけの日記です。

アルバムが発売したことと他の曲については別のところに置いて楽しめていますが、
「Crown of Agna」の歌詞、アルバムブックレットのインタビュー、シャイニング事務所の公式ツイッターの内容については納得いかないことがあって、感情が二分割してるような状態です。
頭の中がモヤモヤして混乱していつも以上に散らかってます。
一つのものに対して、楽しいと悲しいが同時に存在することって出来るんですね。

まだポジティブ思考に至る前段階ですが、一回モヤモヤを頭の中から出したいと思ったので、書いておくことにしました。
今日の日記は最後まで愚痴です。


「Crown of Agna」の歌詞と、ソロベストアルバムのインタビューをあわせて読んでショックを受けました。

まず、セシルという名前がアグナパレス語で「唄声」という意味であることを初めて知ってショックを受けました。
それが今回の愚痴の中で最もダメージが大きい出来事でした。
今まで知らなかったことが悔しくて悲しかったからです。

ゲーム版の設定によると、アグナパレスという国には、音楽の女神ミューズの加護を受けて国を維持してきた歴史があります。
国を維持するための力とは、音楽によってもたらされる奇跡の力・魔法であり、魔力の源は女神ミューズの力です。
王家の人間は、祖先がミューズの化身であるため魔力が強い者が生まれます。
それゆえに、ミューズとの関係を維持する役目を担っています。
音楽の奇跡の力で国民を導き、神に祈りの歌を捧げるのが王族の務めだそうです。

また、セシルさんは過去のインタビューで、昔を振り返って「生まれてすぐ、言葉を話すより先に歌を歌っていたらしい」と答えながら、「自分は歌を歌うために生まれた」と話していたこともありました。

これらが今も健在の設定だとすれば、自分の名前が持つ意味はセシルさんにとって大変誇らしいものなのではないのでしょうか。
それなのに、どうして私はその意味を知らなかったんでしょうか。
この人の名前がそんな意味の言葉だということを、そんなに大切なことを、今まで知らなかったということがとてもとてもショックでした。
私が今になってこれほど重大な事実を知ることになったのは、愛島セシルが実在しないキャラクターであるからとしか言えません。
セシルさんを実在するアイドルに見せるためのインタビューのはずなのに、愛島セシルが株式会社ブロッコリーの作ったキャラクターでしかないということを、これ以上ないほど強く実感してしまいました。
こんなくだらないことで悲しくなる私は確実に頭がおかしいですが、いっそのこと究極的に頭がおかしくて、愛島セシルが現実にいないことを認識できなければ幸せだった気がしてきます。


この他にも「Crown of Agna」の歌詞は私にとって問題があるものでした。

特に2番の歌詞がどうしても気になってしまって、好きになれません。
この歌の歌詞は、セシルさんがかつて母国で疎まれていたことや苦難を乗り越えるまでの過去の出来事を振り返り、今とこれからの自分がどうありたいかを歌っていると思います。
過去の振り返りには、当然ですが過去となるエピソードを提示することが必要になります。
しかし、歌詞に書かれた過去の具体的な時期やエピソードがはっきりとは分からないようになっています。
ゲーム版の本編エピソードを連想させるようでいて、アニメ版のセシルを思い描く自由も残してあるような余白を感じてしまいました。
確信が持てないような微妙な感じがすることが、卑怯に思えて好きではないです。
はっきりしなくてモヤモヤします。

もしもゲーム版になぞらえた詞であるならば、2番の歌詞の「アナタと 仲間の愛が」のところの語順も気に入らないです。
「アナタと仲間の」の部分は歌で聴いた時に間が区切られて、「アナタと/仲間の/愛が」になります。
この順番だと、並列関係であるはずの二者のうち一方だけ所有格であるせいで「仲間の愛」の方が重要みたいに聞こえてしまい、そこが気に入りません。
この気持ちはなんだろな、ジェラシー?

それから、アニメ版セシルさんを想定している場合はもっと嫌です。
うたプリ本編からの周年記念アルバムでアニメ版のキャラクターを想定した歌をリリースするということで、ゲーム版セシルさんがどこにもいなくなってしまったみたいに思えるから最悪です。
あとアニメ版だと都合が悪いのは、歌詞の「アナタ」がアニメキャラクターの七海春歌さんに限定されてしまうところです……。
私が関係なくなるのは嫌です。嫉妬MAXです。


うたプリの楽曲には、過去のエピソードに関係がありそうでなさそうなワードを入れることで、ファンの思い出に触れ深読みをさせて感動してもらいたい意図がある詞が多いと感じています。
実際のことは知らないですが、私にはそういう意図があるように思えるのです。

想像の余地を持たせて聴く人の想像力に委ねることはよくあるとは思いますが、うたプリに関して言えばあまり好きではない手法です。
はっきりしない方がたくさんの人に引っかかるんだろうけど、卑怯なようにも思えてしまいます。
しかし他の歌詞でははっきりと恋愛描写をしていたこともありました。
それを考えると、はっきりさせようと思えばできるように思います。
だから曖昧な表現の時は狙ってやっているのかなと思っています。
大雑把に多数の人の心の琴線を掠めようとする狙いがあるのかと疑ってしまい、嫌悪感を抱いてしまいました。
私が神経過敏なのが悪いんですけど……。
大雑把にするなら触れてくれるなよと思います。
そんなテキトーな気持ちなら、私の思い入れには触れられたくありません。
とてもモヤモヤします。

ゲーム版とアニメ版どちらにも受け取れる場合、何が問題かと言うと、多数派の方が正しいとされることが分かっているからです。
アニメ版の方がファンが多いと思うので、「Crown of Agna」もアニメ版セシルの歌だと思う人の方が圧倒的に多いはずです。
過去の振り返りでアニメ版の話をされてしまうと、ゲーム版のセシルさんは最初からいなかったことになっちゃいませんか。
そんなの絶対に嫌です。

私はゲーム版とアニメ版を別物として考えることで納得しようとしているのに、
上松さんもうたプリスタッフさんも二つを一緒くたに扱おうとしてくるので、
私の頭はこんがらがっています。
ゲーム版をなかったことにされるくらいならアニメ化なんかしない方が良かったです。


上に書いたような、時期が不確定なことと語順による意味合いの変化もですが、
歌詞でいう「仲間」とは誰を指すのかについて余白があるところも曖昧に思えました。
おかしな妄想に使われたらと思うと腹立たしいです。


他に曖昧なのは、「みんなのプリンス」の「みんな」が誰を指しているのかも曖昧でモヤモヤします。
民のみんななのか、ファンのみんななのか?
後者だとしたら、私の思うアイドルソングの美学に反するので誠に遺憾です。

現代では、買ったCDやダウンロード購入した音源ファイルの音楽を聴く時、その人は一人でいることが多いと思います。
特にアイドルソングなら尚のこと、大勢の前で大音量で聴く機会は少ないだろうと思います。
少なくとも私は一人で聴く方が好きです。

だからなのか、実在するアイドルの歌には「みんな」ではなく「みんなの中のあなた」に歌を届けようとする歌詞が多いです。

イメージとしては、アイドルがファンのみんなを思って歌うのは当たり前のことかもしれません。
ですが、一人の人間が自分を支えてくれた人に感謝をするということだと考えると、それは決して当たり前ではないはずです。
そこには特別な思いがあるはずです。

だから、一人の人間のアイドルからファンへ感謝を伝える曲に乗せる、アイドルの気持ちがこもった歌詞であるならば、
「多数いる中の誰でもいいあなた」とも受け取れる「みんな」ではなくて、「特定のあなた」であるファン1人ひとりに届ける意思がある歌詞の方が良かったなと思ってしまいました。
実在のアイドルが歌えば「みんな」でも気持ちが伝わる場合もありますが、キャラクターの場合はそうではないので気になりました。

「みんなプリンス」の「みんな」が民のみんななら上記のような不満はないです。
でもそれだと文脈おかしいと思います。

☆追記 
アニメ版のストーリーを考えたらこの「みんな」は、やっぱりファンのみんなのことだなって思いました。
そうなるとこれはアニメ寄りの歌詞ってことになるので、
ゲーム発売から数えた10年目の新曲がアニメ版の歌だと思うと悔しいです。


長々と愚痴を書き連ねてしまいましたが、
私はこだわりを持ってアイドルソングを聴くところがあるので、この曲の歌詞を必要以上に意味深に受け取って憤慨した
という話でしかないです。

名前の大切さとかアイドルソングの美学とか色々と書いたけど、結局は私の個人的なこだわりに反するから気に入らないという話でしかありません。
「正しくはこうあるべき」と言って、是非を論じたい意図はないです。

嫌いならば嫌いで済ませて、私の心には響かなかったと思うことでシャットアウトすれば終わる話なのですが、
でも、そうしたら私はいつまで経ってもこの歌をちゃんと聴けないままになってしまいそうです。
それどころかセシルさんの存在を忘れたくなってしまいそうです。
そうでなくてもアニメ版の歌にされたら私の好きだった愛島セシルさんは消えちゃうので、どのみちいないんですけど。
そもそも愛島セシルなんて人この地球のどこにもいないんですけど。
どこにもいないから、私の頭の中からは消えないでほしい。


最後はポジティブな考え方に切り替えようと思っていたのですが、大事なアグナパレス語を知らなかったショックが大きすぎるので無理でした。
不安なことや気になることもたくさんあるので考えがまとまりません。
今はまだ、良い考えを導き出すことも、この歌詞に納得することも難しいです。
アルバムの感想文を書くのも止まってしまいました。
この愚痴をポジティブな方向に変えられた後に、良い感想文が書けそうだったら書くことにします。

ネガティブな時はケチつけたくなっちゃうので、他にも不満がいっぱいあります。
気になったのは2番の歌詞です。リズムに無理あるというか、間延びしたところが多くて気になりました。
最後の星の花火っていうのも、一体なんなんだこれは爆ぜて燃え尽きるようで不吉じゃないのか大丈夫か、
とか、いろいろ良くない感想を抱いてしまいました。
本当にごめんなさい。
こんなのはダメですね、ケチつけてるだけです。

あと歌詞に花火というと、私は那月の最初の歌を思い出すんですけど、
那月ファンがこのワードに思い入れがあったら嫌な気分にならないかどうかが少し心配になりました。
うたプリの歌詞はワード被りしまくりだから今更気にならないのでしょうか。


最後になったけど、歌はちゃんとセシルの声してて良かったです。
アルバム発売前の日記にセシルさんの歌声に期待すると書いたけど、期待してよかったと心から思いました。
素晴らしかったです。
歌声は「Crown of Agna」の方が大人っぽくて好きです。
歌詞は「☆light ☆night」が好きだけど、歌い方は「Crown of Agna」の方が好みです。
アニメ版の可愛さとゲーム初期の神秘的な感じの中間くらい?そんな感じで好き。
最初の歌が一番好きだけど、最近の曲の方がキャラクター性は増してるのかもしれません。
ちょっと悔しいような複雑な気持ち……。

おわり。