roseに口づけを

愛島セシルに愛を捧ぐウェブログ

生きるのお休みしたい

疲れたのでお休みします
元気になったら復帰します
ってノリで人生をお休みしたい
人生がお休みできるシステムだったらよかったなと思ってしまった
でもコールドスリープとかは嫌だな
私だけ止まるのは嫌
この考え方うちはオビトっぽいんじゃないか?
じゃあやっぱ無理だそんなの

休めないからここから逃げ出したいと思ってしまう
人生って途中で休めないし終わるタイミングを自分で選べないから大変だな
死ぬのは怖いけど生きてる間も不安で安心できない

最近は何もできてません
体調不良を理由にして何もできてないでいます
メンタル終わりすぎてるので
声優の鳥海さんのほのぼのツイートに「体調悪いのに頑張っててえらい!」って感じのリプライを書いてしまった
今見ると「目上の人に何言うんだ!コウペンちゃんじゃあるまいし」って感じだ

一回立ち止まったらアウトだって知ってたのにな
動き続けないとダメになっちゃうの知ってたのに今月何もできてません
今まで生きてきて自分でどっちかを選べないときに時間切れを待ってしまうことがよくあったんだけど
そのせいで後悔してきたし失敗してきたなと思った
なのに今もまたタイムリミットが来るのを待ってしまっている
どうしようもない

以下は支離滅裂な日記
うたプリの愚痴も書いてるけど相変わらずうたプリへの愚痴じゃなくてファンコミュニティへの愚痴です

「休みたい時は休んでもいいよ」って言うけど無理

生きるの休みたいっていう同じ悩みの人いないかなって探すと
「休みたい時は休んでもいいよ」みたいなタイトルの、うつ病の人が書いた書籍の広告が出てくる。
けどそういう人って、貯金を使って好きなことをして楽になったみたいなことを書いている。
そして旦那さんや奥さんがいて、子供はいない場合が多い。
お金たくさんあって、誰かがお世話してくれる、そういう余裕あるからお休みできるだけじゃんって思ってしまう。
休んでもいいよってありきたりな優しい言葉を書いて落書きみたいな粗雑な絵を描いているのに馬鹿にされないのは、鬱病ってキーワードのおかげだろって思ってしまった。
あんな下手なのでも、鬱病から回復したって箔があればたくさんの人に見てもらえるんだなって思ってしまった。
すごく意地悪な気持ちで見てしまった。
私は性格が悪いな。

ここじゃないどこかってどこ?問題

私がいなくなりたいここっていうのは場所のことでも時間のことでもないことに最近気がついてがっかりしてしまった。
だから解決策が見つからない。

前までは今住んでる北海道のこの家じゃない場所に住めば気持ちが変わるかなと期待していたけど、そんなことはなさそうだった。
3月末にSSS2ndのために千葉県に行った時に何も気持ちが上向かなかったからそう思っている。
私は最近道を歩いていても現実味がないというか、地面からちょっと浮いてるみたいな感覚になる。
どこにいても自分がここにいていいのかわからないみたいな不安がある。
しっかり立てている感じがしない。
靴が軽いせいなのかな。
わかんないけど浮いてる感じがする。
千葉に行ってみても浮いてる感じがするのは変わんなかったな。
それどころか痛バッグたくさん見かけるのがしんどくて早く家に帰りたくなった。
1日目に会場に着いてすぐの時にはもう家に帰りたかった。
家があるのは北海道なので、嫌いなはずの北海道が恋しくなっていた。
どうやら私は本当に北海道が嫌いなわけではないようだ。

だから私が思ってる逃げ出したいここっていうのは場所のことじゃないと分かった。
でも、それはつまり引っ越しなどしても元気になれないってことだから、これには相当がっかりした。

かと言って、時間を指すここなのかと言うとそれも微妙に思う。
昔はよくタイムスリップものを見て人生やり直すっていいなと思ったりしたけど、最近はそう思えなくなってきた。
自分の人生をやり直したいと思えるほどの気持ちも気力もないように思う。
自分自体が嫌だからやり直すの面倒くさいなと思う。
今までの時間がなかったことになるのが面倒だし、
今まで過ごしたのと同じだけの時間をかけないと今のこの地点に帰ってこれないことも面倒だ。
ひたすらめんどくさい。
ラノベの流行テーマがタイムリープや死に戻りで人生をやり直すことから、
異世界転生して新しい自分になることに移行したのも、
ラノベ読者層が私みたいに面倒くさいと思うようになったからかもしれない。
だとするとラノベのメイン読者層は私より年上世代に違いない。

はてなブログの今週のテーマ見るのきつい

今は気分が落ち込んでいるので、
はてなブログの今週のテーマが「おとなになったら」らしくて、
ブログを書く画面で『思い描いていた「大人」になれてる?』とか聞いてきてるのマジうざい。
と思ってしまった。

私は大人になることに夢見すぎてたので正直なところ全く思い描いていた大人になれていない。
大人になったら勝手に大人になれると思ってた。
大人になったら勝手に会社に入って働けるものだと思ってた。
大人になったら勝手に美人になるものだと思ってた。
大人になったら勝手に結婚できるものだと思ってた。
他にもいっぱい勘違いしていたな。
小学生の時になりたい大人になる方法をきちんと勉強しておかなかったから後悔してる。
13歳のハローワークなんていう本が流行ったけど、あれもお仕事カタログとしか読めてなくて、多分使い方を間違えてたから意味なかったな。
期待が膨らむページばっかり読んでしまった。
算数ができないとなれない仕事だと分かるとテンションが下がった。
憧れだけじゃ仕事にはつけないってことがわかった。
夢とかなかったな。

インターネットで会うオタクを人間だと思えない

文字だけの情報だから人間だなってあまり思えないでいます。
自分がメッセージを送って反応が返ってくると嬉しいけど、実体がわからないからボンヤリした感覚になる。
嬉しさは本物なのに人間がいる気があまりしていない。

特にTwitterは、やってると嫌いな人がどんどん増えていくのに、たくさんのアカウントをブロックしてもブロックしても、自分がツイートする上では特に支障がないのが不思議。
うたプリのファンってめちゃくちゃいっぱいいるなぁと思った。
みんないなくても問題ないし、私1人だけいなくなっても問題ないよなって思った。
うたプリに関しては、同じ趣味のオタク同士SNSで繋がるということはどうでもいい気がするのに、
他のうたプリファンの人と関わらなきゃならないタイミングが時折訪れるのがストレスになってる。

私が好きなキャラクターを独占しようとするオタクが存在してるのを確認できることが嫌だ。
私は推し活っていう文化が苦手で、
誰にも独占できない物を私が1番大好きで独占してますってアピールする文化だと思ってるし、
お金を使って物を買い込むほど独占してますってアピールになることを気持ち悪いと思っている。
札束で頬を叩くとか、パンツに諭吉をねじ込むとか、
キャラクターにお金を使うことについて下品な言い方する人を見て気持ち悪かったから苦手というのもあるし、
キャラクターをホスト扱いして自分をホスト狂いに例えるところが気持ち悪いから苦手というのもある。

だけど一番怖いのは、自分の人生だけでは満足できてない人が、推し活で1番すごい人になることを人生の成功体験みたいに思っていて、推し活で自己実現の代償行為をしようとしてるように見えること。
推し活が人生の成功体験たり得ると思い込ませて競い合うように、競い合うことで利益を産むように、企業側に仕向けられてるように思えるところが一番怖いと思った。

無駄遣いできるお金があることは羨ましいけど、同じもの並べる行為は私の美的センスに反するから真似したくないな。
集合体苦手だから無理だ。
なりたいけどああはなりたくない。 そんな感じ。
こういう人ネットでしか遭遇しないので、本当に存在してる人なんだ…うわあって思ってしまう。
私の世界にはこういう同じもの並べる文化の存在なくていいから、この文化があることや実際やってる人がいること知りたくなかった。

というか私の許容範囲が激烈に狭いせいで、他のうたプリオタクの人に気が合う人いないだろうから、他のオタクの存在ごと知らない方がいいんだろうな。
私としては、趣味は好きな物と自分だけあれば成り立つ世界が理想だから、
オタク趣味って他の人いなくてもいいんじゃないか?
とか思ってしまう。
うたプリも友達いたら楽しそうだし、何かと便利だろうなって思う。
けど、人のこと便利って思ってる時点で友達じゃないのである。
私の友達になる人かわいそうだから交流頑張るのはやっぱやめとこうって思った。

本当は他のオタクに興味がないくせに、人並みに寂しくなるせいで、他のオタクと触れ合おうとしてしまうことがある。
でもいつも途中で面倒くさくなって逃げてしまった。
こういうのはいい加減にやめたいもんだ。

オタク趣味の楽しみ方が自分1人で楽しめることが当たり前だった時に戻りたいな。

最近は趣味に癒されてないし楽しくない

インターネットするのが趣味なんだ、けどインターネットしてるとうたプリファンの動向が見えるので苦しい。
Twitterやらないとうたプリの最新情報が手に入らないんだけど、調べると他のうたプリファンが見えてしまう。
他のオタク見ると癒されないし楽しくない。
みんな推し活に狂ってるので見ると息苦しくて辛くなる。
ペースを乱される感じ???
インターネット見るの息苦しいからテレビに逃げても、テレビも推し推し言ってて息苦しい。
私は意地でも推しって呼ばないことにする。
私は○○ファンですって言う。

スターリッシュツアーズのライブ行くの怖い

チケットが当たったから行けることにはなったけど、行くのが怖くてためらってしまう。

怖い理由は、Twitterで見かけるうたプリファンの怖い人達のことが嫌いでできれば会いたくないからだ。
当落発表の日からしてまず最悪だった。
仙台開催だから応募しなかっただの、炎上のせいで応募しなかっただの、
当たったけど炎上のせいで行きたくないだの、今回は倍率低くて大したことないだの、
ライブそのものを腐す人がたくさんいてテンションが下がった。

でも倍率が低かろうが落選した人はいるんだよ。
じゃあ行きたくて応募した私にとってはプレミアチケットには違いないよね。
って思って耐えたけどやっぱりムカついてはいる。
それにしても「2ndの東京開催が本番だから初めから狙ってないw」とか余裕こいて馬鹿にしてくるのはさすがにひどいと思ったけどね……。
「今回はパスwライブビューイングでいいやw」とか言っててさあ。
「ライビュ目当てなのでシリアル譲りますが当落後にシリアル返してください」とか言ってお金取ってた取引アカウントまでいてさあ。
どいつもこいつも感じ悪かったな……。

けど初単独ライブの1stライブは宮城県の方じゃん。
そうでなくても、スターリッシュツアーズの歌を歌ってくれるライブじゃん。
そんな楽しそうなライブに行きたいと思うことの何が悪いんだよ……。

うたプリのファンは、コミュニティを垣間見ただけでも嫌いなタイプの人に遭遇する確率がめちゃくちゃ高いなと思った。


それから「今回のライブをプリライって呼ぶな!ST☆RISHの単独ライブだ!」ってキレてる人いたのも怖かった。
今回のライブはマジLOVE LIVE STAGEじゃないのにプリライって呼ぶ人がいることが許せないんだそうな。

ST☆RISHの声優さん達が「ST☆RISHの初の単独ライブだね!」ってMCで言うかな?とは思ったし、実際そう喜んでたら「よかったね嬉しそうな姿が可愛いね」って気持ちになると思う。
私は声優とキャラクターを別物と思ってるからST☆RISHっていう声優グループ名として考えてライブを見ると思うけど、
声優さん達のことも好きなので、微笑ましく見られると思う。

でも、オタクが「プリライ呼びを禁止したい!ST☆RISHの初単独ライブは特別だからプリライじゃない!別物として呼び名を統一したい!」と訴える姿は別に可愛くないし正直怖い。
強要するなよと思うし、私はうたプリファンのコミュニティの内側にいないので、そいつらの感情どうでもいいなと思ってしまった。
映画の記念ライブだから、うたプリ興味なかったけど映画見て行きたいと思った人もいるわけです。
その人がうたプリのライブはプリライって言うんだ!って思ってるとしたら、プリライって呼ぶ人いてもしょうがなくない?
プリライ呼びする人に当たってほしくなかった!と言っても当たってる事実は覆らないし……。
当落の結果って機械的に決まるから感情関係ないし。
究極的なこと言うと、当落直前に逮捕されるような犯罪した人だって当たるように出来てるわけだし。
しょうがないよね。

ライブに行く前から何度も揉めてるので、
これからの事前通販、当日物販、ライブ当日2日間、
少なく見積もってもこのタイミングでまた何か揉めるのかな。
あと何回揉めるのかなと思うと憂鬱。
とりあえず「声優の名前を呼ばないで!キャラの名前だけをコールして」
って言う人とか
「ライブの感想を書くときに声優のことはプリンスって呼んでください」
って言う人は必ず現れると思います。

Twitterであんな怖い人達が一堂に会するのかと思うと今から怖いです。
うたプリは好きなのにうたプリファンは怖くてやだな。

はっきり言ってうたプリは閉じコンであると思っているのだが、ファンが増えない原因は古参が怖いからだと思っている。
映画のヒットで新規が増えたとは思うけど、炎上したせいでまた閉じたと思ってる。

プリンセスを名乗るうたプリファンを警戒してしまうようになった

炎上以来、プリンセスを自称するうたプリファンのことが嫌いになったんだけど、実はもともと苦手だった。
過去にもうたプリファンの中で何か揉め事が起きたらしい?と私が気付いて調べる時、渦中でキレ散らかしてる人は100%プリンセス様だったからだ。
古参のプリンセス様?

この前うたプリ10周年記念本を見る機会があったとき、
Twitterでみんなの誕生日を祝っているからずっとうたプリと共にあるような感じ」って上松さんが話してるページを見た。
読んでたらなんだか悲しくなった。

上松さんは炎上以来Twitterでツイートをしていないため、今年の4月11日に音也のお誕生日を祝わなかった。
私は上松さんのツイートのノリが苦手だったので例年の誕生日祝いを特段楽しみにはしていなかったが、
お祝いをやめることで上松さんのうたプリへの向き合い方も変わってしまう気がしていて残念に思う。
(今年祝わなかったことに対して怒ってるプリンセスさんを見かけたけど、別のプリンセスさんが「今年は絶対に祝うな」と脅していたのも見かけた。
なので、今年お誕生日のお祝いツイートをしなかったことは上松さんのせいにしないでいただきたい。)

炎上が落ち着いてから上松さんのリプライ欄を見てみたが、プリンセスの呼び名をとられたっていう感情的な理由で怒ってる人はやっぱり多かった。
(違う理由で怒ってる人もいたけど、今まで貢いだお金をバクプリに使うなみたいな理由が目立ってたので、それもやっぱり感情論でしかないと思った。)
うたプリファンがどれだけ冷静なつもりで説明しようとも、その理由が感情論でしかないならば意味がないと思う。
側から見たら、くだらない理由でみんなが心を一つにして上松さんをめちゃくちゃぶっ叩いたという印象にしかなっていないと私は思う。
うたプリファン怖え〜って思うだけの、心底くだらねえ話って印象になってると思う。

怒ってる人達は理性的なつもりだったと思うけど、怒ってる内容は、自分の思い入れっていう感情的な理由によるものでしかなかったと思う。
それから、怒ってる人は怒り続けることが抗議であるって言っていたけど、
私は抗議する時こそ落ち着いて話さないと伝わらないんじゃないかと思ってしまった。
プリンセスの名前を取り下げてほしいと抗議している人はWeb署名活動までやっていたのだが、
抗議の理由が「プリンセスの名前を返せ!」だったり「私が貢いだ金をバクプリに使うな!」だったりするのを見ると、絶対に無理だろうなと思った。
どちらも感情論以外の何物でもないから無理筋だと思う。
本当にタイトルを変えてほしいのなら、怒りの感情がこもっていない別の理由で抗議すべきだ。
「同じ会社からほぼ同じ名前のコンテンツを作ると検索の時とかに双方のファンにとって邪魔になるからやめてください」
みたいな、利便性とかいった別の方向性で訴えた方がまだ話を聞いてもらえると思った。

私が見た感じでは、プリンセスを名乗ってきた人たちほど炎上の件を根に持っている。
乙女ゲーム版をふざけてると見下しながら、ふざけた描写の多いネタアニメ状態のアニメ版を見てなぜか泣く人たち。
乙女ゲームじゃなくアイドル作品として好きで、シャニライはCS版と違って乙女ゲームじゃないからwと嘲ったくせに都合のいい時だけ乙女ゲームを盾にした人たち。
映画の映像を見るよりも前に泣き始める、自分が健気に応援してきた思い出に陶酔して泣く人たち。
そういう人たちがそもそも嫌いなのに、
最近はそういう人たちがうたプリそのものを腐すようになったのでムカついている。
正直言って同じ作品を好きな仲間だと思いたくない。

だけどうたプリは閉じコンなので、この人たちの面子はずっと変わらないんだなーって思うときついし、
閉じた中にこの人たちが本音を隠して隠れてると思うときついなと思った。
以前にも増してうたプリファンに近寄り難くなった。

オタク界のなりきりごっこ遊びが度を越してきてると思う

私はもともとプリンセスって呼び合う文化が好きではなかった。
うたプリでBLカップリング妄想してる腐女子やら、男女カップリング妄想してる人やらが、
「自分はカップルを見守る壁です」って言いながらファンとしての自称をプリンセスにして楽しんでる様子をおかしいと思っていたからだ。
なんで壁がお姫様ごっこしてんの?って思っていたわけだ。

そうでなくても、プリンセスを名乗る人は面倒くさいタイプの人が多いなと思って苦手に思っていた。
例一つだけ挙げても、
「プリンス達はキャラクターじゃない!」って思う遊びを他人にまで要求するという、
めちゃくちゃ面倒な要求をしているっていう話だ。
このこだわりのせいで、うたプリとコラボする会社はキャラクターをキャラクター扱いすることを禁じられる。
キャラクターの音也を「シャイニング事務所所属アイドルの一十木音也さん」などとお呼びすることを強いられるわけだ。

うたプリのアプリゲームのシャニライも、この対応を徹底している。
私がキャラクター扱いしてブロマイドの感想を書いたメールに対する返事にも、
「これからも愛島セシルさんの応援をよろしくお願いいたします」
と返ってくる。
さんざんイラストの絵柄が画風が顔つきがどうたらこうたらと書いたのにも関わらずである。

キャラクター扱いするとブチ切れるファンを怒らせないための予防策としての、抜かりない対応だ。
作品への没入感を得るためのごっこ遊びのために、どこまでも徹底している。
こういうサポート窓口は、返答内容がマニュアルで決まっているのだが、
キャラクターを褒めてよこしたメールへの返信には、この定型文を使うことが決まっているのだろうと予想がつく。

ちなみにこの「プリンスはキャラクターじゃない」問題は、ファン同士でも揉めごとの原因になる。
「プリンスをキャラクターって言う人はうたプリファンじゃない」って言う人がいるくらいだ。

缶バッジやアクリルの板アホほど並べてる奴がそれ言うのか。
ゲームやアプリゲームから出てこないキャラクターに思いを馳せ、時折作画崩壊するアニメを見て泣く奴がそれを言うのか。
手の造形がイマイチな3DCGが歌って踊るアニメ映像を観て満足してる奴がそれを言うのか。
意見が合わないなと思った。

私はうたプリ乙女ゲームだから好きになったし、プリンスさまたちが乙女ゲームの攻略キャラクターだから好きになったので、
私にとっての彼らはどう考えてもキャラクターである。
キャラクターだから会えたし好きになれた。
だけどその前提なくても、実在設定ごっこ遊びを知らない人がキャラクターって言うことは仕方ないし当たり前だと思う……。
思い入れ何もないなら、どう考えてもキャラクターでしかない。


実在設定は本来なら消費者に没入感を持ってもらうための遊び心であったはずなのだが、
現状のこういう対応が当たり前みたいになっていることに関しては、私は異常だと思っている。
他のアイドルキャラクターが出てくるゲームでもこういう対応をするのが当たり前になっていたりするが、
他でも当たり前だからって理由で、このサービスを企業側に求めることが当然だとは思えない。
どう考えても異常である。

実在設定は現実に暮らす人間が「この演出は現実っぽい!」と言って楽しむ遊びの要素のはずだ。
現実にいてこそ楽しいものなのに、楽しむ側のオタク達の感覚がおかしくなってる気がする。
それにそもそも他人に強要するものじゃないと思う。
まるでしきたりであるかのように他人に強要することは、普通ならしないことだと思う。
「他人に強要する」からうたプリファンを怖いと思うのかもしれない。

うたプリの実在設定はうたプリファンが言うほどすごくないと思う

また、プリンセスを名乗るファンは、他とは違って優れたうたプリを自慢して他作品を貶すタイプの人が多くて苦手だった。
その例がさっきの話と似てしまうんだけど、
自慢の内容は「プリンスの実在設定がすごい」っていう話だったりする。
私はうたプリブロッコリーが提供する実在設定は、結構緩い方だと思っているので、プリンセス様達の意見には同意できなかった。
上松さんがうたプリをやろうと決めたきっかけが声優ライブだった、みたいな話も最近読んだので、うたプリが1番すごいっていうのは絶対に嘘だろと言いたい。
本当に実在設定にこだわりを持っていたら、声優ライブも声優ラジオも、声優へのインタビューも、声優の顔出しをする試写会系のイベントも、絶対にやらないはずだと思うからだ。

それから「キャラクターの誕生日のたびに年齢が増えててリアル!」って言ってる人もいるのだが、
公式が出しているキャラクタープロフィールでは年齢を記載するのをやめてしまっているため、
現在うたプリファンが言っているキャラクター年齢は公式側が定めた設定ではなくなってしまっている。
よって、近年では初めから生きてない者達の年齢をオタクが勝手に数えてるホラー状態になってきている。

初めに年齢不詳のキャラクターを作ってしまっているあたり、そもそもは誕生日のたび年齢を増やしていく方針など想定していなかったはずだ。
ブロッコリー側の実在設定がお遊び要素として取り入れた程度の隙がある物なのに対して、
ファン側が過剰に乗っかって真剣に捉え過ぎているところがもう噛み合っていない。


これはTwitterじゃない掲示板での話なんだけど
「自ジャンル*1は誕生日のたびにキャラの年齢が増える〜」
ってヒントを出して何かしらの愚痴を書いてた人を見たことがある。

ヒントを頼りに探したら他作品が見つかったからその話かな?と思ったら、愚痴の内容がどう考えてもうたプリだったっていうことがある。

キャラの年齢がリアルに増える設定って他作品にあるんじゃんって思った。
うたプリよりしっかり数えて年齢増えてたからうたプリすごくないじゃんって思った。

そもそもうたプリはセシルがアグナパレス出身な時点でファンタジーだし、アグナパレスは年号が独自のものであるため日本式では年齢を数えられず、セシルは年齢不詳のキャラクターである。
そして血液型を決める文化もないっぽい。
愛島セシルはブラッドタイプ:アンノウンなのだ。
多分、魔法で傷治すから輸血とかしないんだと思います(やけくそ)
そんな作品で年齢数えたところでリアリティーもクソもないなと思った。

オタクのTwitter内で妄想共有することや推し活文化が苦手だ

うたプリに限らずいろんなオタクに言えるけど、最近はみんなTwitterのオタクだけの仲間内で妄想を見せ合い、共通認識を作った上で仲間同士で妄想を深めていき、公式サイドの予期せぬ方向に暴走していっていると思う。
プリンセスの名前をとられた!って怒ることになったのもTwitterのせいだと思う。

うたプリファンの認識ではプリンセスは公式が決めたファンネームで、歌詞でプリンセスって呼んでくれた!となっているが、
スタッフ開発日記には「ファンの皆さん」とお呼びしている文章がたくさん残っている。
歌詞でプリンセスと呼んだのも、
プリンスであるアイドル達が出てくる乙女ゲームの相手役に伝える歌として歌詞を書く際に、
デフォルトネーム七海春歌の代わりに使える固有名詞がプリンセスだったというだけかもしれない。

「365日捧げてほしいマイプリンセスって歌ったくせに!捧げたのに裏切るなんて酷い!」
と怒ってる人も見たが、
これはスマートフォンアプリゲームのために書かれた歌詞である。
つまり「アイドル11人とずっと一緒にいられるアプリ」というゲームのコンセプトを拾って歌詞にしているだけであり、誰も本気で言っているわけではない。
遊び心だとわかっていて楽しむ部分だと思う。

それに、上松さんはうたプリ以外の好きな物を作ることを否定していない。
うたプリ以外の物に触れて帰ってきた人を「おかえり」と迎えたいと言っていた。
なので、うたプリだけを一途に応援しろとは言っていないし、人生を捧げろなんてことも別に言っていない。

こういう齟齬をきたした原因は、Twitter内の閉じたファンコミュニティにあると思っている。
公式サイドが明確に出しているシチュエーションや設定と、Twitter内での共通認識との区別がつかなくなったから、おかしくなってきたんじゃないか?

元からプリンセスを名乗るファンがわりと苦手だったのだが、今回の炎上のせいではっきり言って嫌いだなと思うようになってしまった。
上松さんに攻撃的な人や、いつまでもしつこく嫌味を言う人ほどプリンセスの名前にこだわっていたので、こういう人は嫌いだなと思うようになってしまった。
プリンセスって名前のせいで上松さんと喧嘩になったし、それ以降みんな上松さんやブロッコリーへの恨みを引き摺っている。
うたプリの展開についてネガキャンじみた嫌味を言うことや、怨念まみれた悪口を言うことが増えたし、憎悪を隠さなくなった。
今年以降のうたプリはどんなお祝い事があっても楽しいムードになっても、毎回誰かしらが恨み言を言っててだめになりそうだなと思うと今から憂鬱だ。
プリンセスごっこ遊びのせいでうたプリめちゃくちゃになってんの悲しいんだけど。
プリンセスの名前返せ!が理由じゃないって人も自分が貢いだお金がどうのこうのと文句言ってることがあるので、
こっちはなんだろうな、パトロンごっこかもしれない。
でもこれは、事実上ただ買い物してるだけなのに、お金で買った商品以上の見返りを求めてることになる。*2

だからこれもごっこ遊びの範疇に過ぎないと思う。
どっちにしろごっこ遊びのせいでうたプリめちゃくちゃになってることになるじゃん。
他所から見たら100%笑い話じゃん。
悲しすぎ。

こういうのぜんぶSNSの悪影響と、推し活ビジネスの呪いだと思う。
推し活ビジネスの呪いってなんだよ?って言われたらうまく説明できないんだけど、
手っ取り早く儲けるために推し活を取り入れたら、それによる悪い影響がたくさん出てしまって、オタク側が狂い始めた、みたいな意味で呪いみたいだと思った。
今更辞めようとしても企業側もオタク側も推し活辞められないだろうなって思うとそれもまた呪いに思える。
もう抜け出せないから、企業とオタクはお互いを見下して傷つけ合いながらも、死ぬまで一緒にいようねって誓い合ってる感じだろうか。
そんな気がしてる。

*1:二次創作に触れるオタクは作品のことをさしてジャンルっていう

*2:おまけにバクプリにはそう言うくせに、ジャックジャンヌの時には怒ってなかったから女の嫉妬って馬鹿にされるんだと思う。私は神々もころストもマジきゅんもマルコネもジャックジャンヌもバクプリも全部興味ないし、うたプリのゲームやグッズを買った時に広告が入るのが嫌だったし、BGSのエポスカード会員くじの景品に上記のどれかが混ざっているのも嫌だった。だから、バクプリだけお金の無駄遣いと攻撃する人のことが理解できない。