roseに口づけを

愛島セシルに愛を捧ぐウェブログ

未だにTwitterに慣れない

昔に一時期やってた時はもっと気軽に使ってたんだけどな



Twitterみたいなユーザーの名前つけてID名決めてやるタイプのSNSって、呟くほどに自分の人間性がバレていくみたいな恐怖を感じる。
私のアカウントに私の言動が蓄積され私らしさのデータが集約されていくかのような。
私のこと詳しく知ったらみんな嫌いになるに決まってるから嫌だなー。
自分から誰かと関わってから嫌われてしまうのが怖いから初めから人と関わらないようにしてはいるんだけど、Twitterは自分から関わってなくても相手に嫌われるような感じがある。
このブログも詳しく読んだら私は嫌われるようなことしか書いてないような気もするけど、このブログは交流ツールとして使うことを考えていなかったからTwitterほど気になっていない。
Twitterはブログよりも使ってる人が多いからか、人との関わりが自然に発生する気がしているし、人に見られていることを自覚する機会が多いツールのように思う。
だからなのか無駄に人目を気にしてしまう。
ツイートの閲覧数が勝手に見えるのも見られていることを意識させられる要素の一つだなと感じる。
これ言いすぎたなとか失敗したなってツイートほど閲覧数が多くて、失敗したことを確認させられるかのようでしんどいものがある。
後で見て失敗したなと思うツイートはRTとかいいねされるし。
それもたいてい鍵アカウントの人にされてるから誰かわからん。
わからん方がいいのかわかった方がいいのか。
それでまた閲覧数が増えたりするし。
ブログのアクセス解析はブログに来ても直帰する人が大多数だろうからあまり気にならないけど、ツイートは流し見とかされる間にも私のコメントが目に入ってるし、短文だからブログより内容まで読まれていて、そのたびに誰かに嫌われてるだろなって感じする。

最近は知らない人にブロックされてることに気付いたりもしたし。
芸能人とかプロのイラストレーターとか企業のアカウントとかいった、私が見たいアカウントにブロックされた訳じゃないから支障はないんだけど、
なんか私が悪いことしたような、私が全面的に悪いみたいに思えてドキッとしてしまった。
クラスタとか言うの所属してないんで、知らんところのコミュニティで知らん人に勝手に嫌われただけなんだけども、謎の罪悪感があった。
この人にブロックされていますって情報の表示いらないな。
ブロックされた相手のツイートもアカウントも消え去ってお互いの世界に存在してないみたいな状態になったらいいのに。